Reinier Elizarde Ruano "El Negron"

Latin Grammy Nomination for best Folk album.

ラテン・グラミー賞 最優秀フォーク・アルバム部門ノミネート

1982年4月22日、キューバ・ビジャ・クララ州サンタ・クララに生まれる。幼少期より音楽に親しみ、サンタ・クララのカーサ・デ・クルトゥーラ(Casa de Cultura)でコントラバスを学び始める。15歳で国立芸術学校に進学し、同校で2年間研鑽を積んだ。

プロとしてのキャリアは、キューバの著名なジャズクラブ「ジャズ・カフェ(Jazz Café)」や「ラ・ソラ・イ・エル・クエルボ(La Zorra y El Cuervo)」での演奏からスタート。ここでは、チューチョ・バルデス(Chucho Valdés)率いる伝説的グループ「イラケレ(Irakere)」のメンバーと共演を果たした。同年、キューバを代表するラテン・ジャズグループの一つオトラ・ビシオン(Otra Visión)に参加し、リーダーである名フルート奏者オルランド・バジェ(Orlando Valle / Maraca)と共に演奏活動を行った。

モントリオール・フェスティバルをはじめ、アメリカ、ヨーロッパ、カナダの国際的に評価の高い主要フェスティバルに出演してきた。19歳で音楽学校を卒業し、プロのコントラバス奏者および指導者としての資格を取得。その翌年にはハバナの高等芸術院に進学した。同年、チューチョ・バルデス(Chucho Valdés)のアルバム「La Rumba Soy Yo」に参加し、さらにデヴィッド・マレイ(David Murray)とのレコーディングも行った。

また、キューバの若手ジャズミュージシャンの登竜門「JoJazz」コンペティションで伴奏を務め、ハバナ・ジャズ・フェスティバルにも出演し、「Jazz Plaza」では、チューチョ・バルデスとミシェル・ルグラン(Michel Legrand)のデュオに参加し、レイニエルがコントラバスを、名ドラマーのヒラルド・ピロト(Giraldo Piloto)がドラムを担当した。

その後、キューバの人気ダンス音楽オーケストラ「Pupy y los que son son」に加入。このグループは、音楽ジャンル「ソンゴ」の生みの親であり、キューバの伝説的バンド「ロス・バン・バン(Los Van Van)」の創設メンバーでもあるピアニスト、作曲家、アレンジャーのセサル・“プピ”・ペドロソ(César "Pupy" Pedroso)が率いていた。レイニエルはこの名門グループで4年間活躍し、幅広い音楽ジャンルへの理解を深めるとともに、大きな成功を収めた。

彼はその仕事に対する真摯な姿勢で高く評価されており、同僚たちからも厚く信頼されている。